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りんごの芯

思いついた事感じた事を言葉に ショートストーリーにしています。

敬意

何事にも敬意を払うということは
人と生きることだと思う

蔑ろにされがちだけれども
とても大切なこと

文を書くこと発信することに対して
私は敬意を払えていただろうか

書くプロの人からすれば ほんのお遊びだけれど
本気で取り組めただろうか

卒論だってそうだ
やりたいと思っていた題材について研究できるのに
私は敬意を払って取り組めているのだろうか

大学だって
学びたいのに学べないそんな人がいることを
忘れているのではないだろうか

学生のうちにしか出来ない事 得られないこと
それは沢山あるかもしれない
だが、迷惑をかけていいと言っているわけでない

名古屋大学のサークルががインターフォンを鳴らし
アンケートしてるんですが……と一言
いや、人の家まで来てインターフォン押してアンケート?
街頭ならわかる。
なぜ家というプライベート空間に押し入るのだ

断ろうとしても押し切られ
結局何年生ですか?と聞かれ4年だとこたえると
じゃあいいですと切られてしまった……

これで2度目……
フリーペーパーを作っているのだろうけど
流石に失礼過ぎやしないか?
みんなに不快な思いをさせて作ったその物は
本当に作ってよかったと思っていいのか?
学ぶところはそこではない。人との関係を学べ

私にとって家は邪魔されたくない場所
そこに土足で踏み込み踏み荒らし帰っていく
そんなのが いいフリーペーパーができたと笑っていう

人を大切にするからこそ
その人や事に敬意を払うからこそ
いいものが作れる そう思うのだ

だから私は大学生のお遊びフリーペーパーゴッコが大嫌い
話をすると他にもそう思う人はいるようで
お店を経営していたり 少し変わった職の人は
大学生のフリーペーパーに迷惑をしているようだ

このような傾向は止めようがない
そういう教育がなされていないのは事実だ
同年代としてとても恥ずかしいが……
目を瞑るしかない
そして彼らが本当の価値に気づくことを祈るのみだ

家族のこと

私は家族が好きだ

でも昔は大嫌いだった
特に兄弟が

兄はなにかにつけ殴って蹴ってくるし
姉はいつも私に我慢をさせてきた

兄は一人っ子の時があり
姉には自由に伸び伸びできた時があったのだ
でも
私には生まれた時から二人がいた

兄が中学私が小2の時から腹の虫の居所が悪いと殴られ蹴られた
私が悪い時もあったのだが、小学2年生まだまだ子供……
母に助けを求めてもあんたが悪いの一点張り

父は単身赴任で母にとっては私が重荷だったのだろう
三人も育てるのは大変だ
しかも私は上2人のお陰で無口でポーカーフェイス
こりゃムカつくわけだ

でもこんな家族だったけれど
中学に入り寮生活になると一緒に暮らす姉以外
みんな優しくなった
多分私も賢くなって兄の機嫌と母の機嫌を察知して身を守れるようになったのだと思う

でも今ではみんな大人
父は変わらず好きで
母は何でもしてあげたくなる友達みたいで
兄は…ツンデレで、何となく弟みたい
姉は他人には冷酷だけど私にはとても優しくて大好き絵もうまいし!

こんな感じで家族だけど認識はお父さん以外は皆友達みたいに接している

お父さんは昔からお母さんがずっと
お父さんは凄い、頑張り屋さんで頭が良くて何より殴られても殴り返さない強い人だ
と教えられてきたので
ちょっとヨボヨボしてきたけど今でも尊敬してる

小さい頃から唯一私を甘やかしてくれたのはお父さんと親戚(いとこ21人中私が一番下だったから)だった。近所のおばちゃんもあんたが一番可愛いと可愛がってくれたなぁ……

何だかんだで
今では家族が好きだ
だけれども子供の育つ環境はとても大事だ

タバコと恋と自分のこと

タバコの火は1年閉じ込めた思い出を引き連れて
私の目の前で真っ赤に光る

タバコを吸い公園へ自転車を向けた
一緒に走るカップルを見てまた記憶が蘇る

淡く儚かった恋と幸せと悲しみを連れてきた恋の記憶が
体に残るタバコの匂いとともに蘇る

少し肌寒い風は恋の終りを告げているようで
どこか寂しげで体温を奪う

同時に鼻に届くタバコの匂いと柔軟剤の匂いが
彼と私を表しているようでまた悲しくなる

さっき全速力で走り去った男の子が歩きながらわたしの前をゆく
子供っぽくてふわりと心が暖かくなる

カップル、仲良さげなおばさん2人、体型が気になるおじさん、とランナーを見送るとさっきの男の子が来た
彼はもう全速力でも歩いてもなかった
自分のペースを見つけ走っていた

私はずっと全速力で走っていた
歩いてもまだまだと走り始めていた
そりゃ疲れるよな……

ランニングは自分の限界がわかる
生きていくペースは限界が分からない
だからこそ慎重になるべきだったのだ

支えがない時に思いっきり倒れてしまっては
起き上がるのに時間がかかるのは当たり前

タバコの匂いが連れてきた二つの恋は
私にとって倒れてもいい時だったのだろう

なんでも大切なことはあとから気づく
だから人間はもう後悔するまいと成長するのだろう

悩めば悩むほど

もうかれこれ1週間は引きこもっている
心が疲れ果て
何もしたくない
何しても楽しくない

誰に助けを求めても傷つけられ苦しめられる

一人になって気づくのは
この社会は誰にも合わなくても
外に出なくても生きていけるということ

ネットショップで頼めばたくさんのお菓子と
レトルト食品が届く
なんでも届くこんな世界

もう助けてくれる人なんて居ないのだから
私も誰も助けない
誰も私の助けなんて必要としていないんだし

私が苦しんでる時に誰も気づかず
人が苦しんでいたら私が気づく

私の人生には私のような人が必要なのだ
報われない仕事
報われない心配り
もうやめにしよう

悩んでも仕方が無いこと

みんなが出来ないとイライラするなら
私もできなくなればいい
とても簡単
さよなら私

時給

最低賃金で働いています。

でも時給が低いと嘆く人がいます
私もそうでした

でも今日店長と話しました色々
納得いきました
最低賃金でも高い方だと

自発的に働けない
お客様を気にしない
面倒なことはしない
そんな人たちを基準にしているから

それなのに責任感も能力もない人が
責任者手当のようなものを貰うのです

それなのにその責任者をやる人たちは見合わないと言います

私より頭働かせないで気を配らないでいて見合わないと言います

私はあんた立ちに合わせて我慢しろ我慢しろと言われてストレスを溜めながらも働いていて
あんた達より低いんだと言いたくなります

あんた達さえいなければ……
なんて悲しくなるんです

時給がなぜその値段なのか深く考えるとそこにいるべきか否かわかる気がします
人間のレベル的にも

好きなことを仕事に……?

好きなことを仕事にしたい
好きなことを仕事に出来たら幸せ

よくそんなことが言われますね

果たしてそうなのか……
好きなことが仕事だととてもいいとは思います

でも

履き違えてませんか?

その人たちが趣味の延長で仕事をしていると

例えば私の身近な例を出すとすれば

「本屋をしたい!」←なんで?
「好きな本を売りたいから!楽しそうじゃん」

なんてことになるともう危険
その仕事が誰にも向かってないからです

正解ではないけれども

「本屋をしたいのは本が売れないこの時代にこそ本は必要で、自分の感性を盛り込んだ新しい本屋を作っていろんな人に本の素晴らしさを伝えたいから」

みたいな
これだと目的がきちんとあります

何でもそうなんですが、目的がないとその仕事は続きません



目的とはある意味芯であるのではないでしょうか?

芯がないと時代に取り残されます

時代小説が好きな人が時代小説だけを売ってとても楽しく仕事をしていても
時代小説があまり出なくなる時代になると
需要も供給もなされない

極端な例ですが……

結論を言ってしまうと
好きなことを仕事にしているのではなく
手段として好きな事が仕事になった

まぁ10人10色なので好きなことを目的もなくやってる人はいるとは思います
ですが、限界は来ますし 幸せではない
ただ楽しいを幸せと履き違えているだけだ

私は思うんです

生きるとは人生とは

ある選択をしてからというもの
ずっと心身ともに優れません

選択は間違っていなかったと今でも思います
私の気持ち以外のことを考えたら

でも私の気持ちを考えるとその選択は間違っていたのです

小さい頃からいつも誰かのために生きてきました
誰かが喜ぶなら……お母さんが喜ぶなら……

だから小さい頃は感情があまりない子でした
喜ばない空気を読む遠慮する
いつも子供っぽくない大人しいと言われていました

子供時代親に気味悪がられた結果
今では努めて明るく元気な人を演じています
そして世間にとけこめるように
世間と同じことをします

高校に行き大学に行く

そう、親の顔を伺ってました

でも今はやりたいことがあります
児童養護施設を建てること
もしくは里親になること
もっと広い視野で色んなものを見たい

私は自分がありません
だからこう思ってるのも逃げなのかも知れません

人生は選択ばかり
生きることは選択をすること
選択に間違えはない

もし違う選択をしていたら……なんて
有り得ないのです
どれだけタイムワープをしても
その選択をするのだから
だったら
その選択したものを磨きあげなければ
過去の自分に泥を塗ることになります

違う選択なんてできない
だから今を生きる
それが人生

きちんと自分の心を見つめ
自分のために生きる
それが人生

もっと自由にもっと豊かに